15.心情的な何か

結論も何も無い心情垂れ流しです。ワタクシ、かなりの寂しがり屋でございます。
なんていうか、雑踏を眺めて”誰かがいる”のを見てるのが好き。
でも、『誰もいない』のは何か嫌。深夜の街を歩いてて、ビルやマンション、アパート、一軒家でも何でもいい、窓にうっすらと光が見えるのは安心する。
ケータイのEメールは携帯電話を離せば『繋がってない』状態だから誰かとリンクしてる感が無いと思う。
多くの人がモバイル機器で”誰かと繋がっている”安心感を得ているとしても理解はできても同調はしない。
私はチャットやIMで誰かが居て、話しているのを見て心の平穏を保つ。
やっぱり、わたしは寂しがり屋なんだと思う。その癖”話しかける”のには躊躇してしまうから寂しい思いを更にしてしまう。
他の人に・環境に迷惑を掛けたくないんだ。他の人の自由な時間を奪って、自分は何を与える事ができるだろう、って頭の隅で考えちゃう。
誰かと話したい。けど、精神年齢の低い大手チャットに集う人々を見るのは辟易としてしまう。どうすればいいんだろうね。このきもち。
群れる事を嫌って一人きりになりたがったのは自分なのに、でもやっぱり一人きりは寂しいんだ。なんてわがままなんだろう。